ボランティアのモヤモヤとは?

人生観・自己啓発
心のモヤモヤ

ボランティアにモヤモヤしたり、違和感を抱くことがある

今回の記事では、ボランティアを考えてみて、どういった場合に参加するべきなのか考えてみます。

ボランティアとは

一般的には「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」とされています。
*出典:厚生労働省

また、ボランティア活動の性格として、「自主性(主体性)」、 「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」があげられます。

つまり無償の愛による社会貢献のことです。

こんにちは!ゆいのすけです。

でもね、必ず社会貢献は無償である必要はないですよね。
有償の場合でも有益な社会貢献もあります。

それに、純粋なボランティアは、無償による自主的な行動によって成立するものと考えるのが一般的です。

そしたら、なるべくなら、ボランティアはやりたくない!と思いますよね。

とは言え、ボランティアをやってみないと得られない体験もあります。

なんで、ボランティアに疑問を持つの?

疑問を持つ理由は、無償であることと、多くの世の出回っているボランティアは自主性が損なわれているからです。

社長が社員に対して、『悪いけど、今度の日曜日ボランティア活動に参加してくれない?』

よくある話ですよね。

事業内容を聞いて、是非手伝ってあげたいなーと言う思いやボランティアの価値に気づけばそれでいいんです。

ですが、多くの人は、ボランティアしたい!と思わないで仕方なく参加する時点で、ボランティアではなく、ただの無償業務となっているんです。

つまり、 無償業務=ボランティア となっているので疑問や違和感を感じるんです。

他にも町内会での草刈りなどもそれです。基本的にボランティアです。

また、マラソンやイベントなどは、ボランティアスタッフを募って運営している事が多いですよね。

ここでも違和感を感じてしまうのが、自主性を損なうことが形骸化しているからです。

ボランティアに頼らないと運営できない時点で事業として破綻しています。

事業として成り立っているスキームの上で、自主的な社会奉仕を学びたい・やりたいと言う人を募ればいいんです。それによって得られる貴重な体験が大きな報酬となる場合もありますから、強制的なボランティア全てが悪いとは言いませんけど、ボランティアに感じる違和感はここから来ているものだと思います。

ボランティアと経済を事業スキームの中に同じ括りとして取り扱うからめちゃくちゃ違和感を感じるんです。

多くの人はボランティアを行う時間を確保するのは難しい

近年GDPが大きく伸びていない日本において、時間はとてもとても貴重です。

余裕ができた時間を勉強に投資した方が所得の改善に貢献しやすいですから、少しでも暮らしを良くしたいと必至に生きている方にとっては『ボランティアしよう』という気持ちになるのは難しい話です。

これは個人が悪いと言うよりは、社会システムそのものが悪い場合もありますよね。GDPが伸びていない=つまり国人の所得 が増えていないわけですから、少なくとも金がないと、心に余裕を生じさるのは無理です。

やはり、自分が歩んで来た経験や体験の中で得られた自身に内在する心が、無償の社会貢献をしたいと強く思ったときや時間を金で購入できるくらい余裕がある方以外は厳しいです。

また、自らお金を払ってでもボランティアに参加したいと思うようなイベントになっていない事が問題なのかなと考える事もあります。

ボランティア不足と言う用語の問題点

ニュース等では災害がある度に『ボランティア不足』と言う言葉が使われます。

これは少しだけ考えると違和感の論点が分かります。

要は、ボランティアに不足も満足もないのです。

ボランティアは受けに行くものではなくて、ボランティアはするものです。

つまり、内在的な需要はあっても本質的な需要はないので、一方的な供給だけがボランティアの根本的な考えとなる考え方です。

だから、言葉が悪いかもですが、ボランティアに頼りたいと言っている時点で、無償業務をお願いします。と言っているようなものです。

他人が依頼する行為に自主性は発生しません。

ただし、ボランティアをやりたい人と非ボランティアとのマッチングは別な話ですよ。マッチングさせるのは、弱っていることを公言できない(しない人)とボランティアを結び付ける重要な取り組みだと思っています。

少し矛盾かつ一方的しているかもですが、ボランティアが成立するにはボランティアを行う側の一方的な愛(行動)が重要になってきます。

とはいえ、ボランティアに頼りたい気持ちはすごーく分かります。だって、ボランティアに頼ればお金を使う必要がないからです。こんなこと言うと怒られそうですが、仕方ないですよね。

ここまでくると分かりますが、ボランティアを行う人を増加させたいなら、教育や所得の増加など社会システム自体を変化させないと難しいと言う考えに行き着きます。

本記事のまとめ

おそらくですが、ボランティアという行為自体に違和感を抱くようになったのは、ここ10年くらいかなと思います。

社会が成長していないのに、自分だけ奉仕するのはおかしい。

ここ最近の傾向として、人の純粋な善意に頼ろうする考えが大きくなったような気がしますよね。

悪いことではないし、徳を積もうとする人もいるから成立している状況だと思います。

けど社会を豊にしていかないと弱者は減らないし、弱者が弱者に奉仕するようになったら少し寂しいなと誰しもが思うようになると思います。

今後は、A Iがボランティアを補完するようになるでしょうから、これから5年先を注視していきましょう。